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TiiT 100周年記念サイト

おかげさまで100周年を迎えました

鳥取県産業技術センターは、大正12年(1923年)、前身の鳥取県工業試験場として設立されてから、2023年に100年周年を迎えました。以来、企業の皆さまの研究室として、県内企業の支援を行っています。

設立100周年を迎えて

地方独立行政法人鳥取県産業技術センター理事長  高橋 紀子

高橋紀子理事長
 地方独立行政法人鳥取県産業技術センターは、大正12年(1923年)、前身の鳥取県工業試験場設立から数えて、今年100周年を迎えました。この間、長きにわたり御支援いただきました県内企業の皆様、関係者の皆様に深く感謝申し上げるとともに、創設以来、県内産業発展のため御尽力いただきました歴代役職員の皆様に心より敬意を表します。
 振り返りますと、創設以降、恐慌や戦後復興 、高度経済成長や安定成長、平成不況やリーマンショックなど、100年の歴史の中で、産業構造は大きく変化し、県内産業は様々な課題に直面してきましたが、当センターは、県内産業の振興という使命のもと、時代の変遷に応じながら、技術支援、研究開発、人材育成を一貫して行ってまいりました。
 現在、本県産業界を取り巻く環境は、人口減少や少子高齢化、グローバル化に加え、デジタル社会やグリーン社会の進展など急激な社会変化への対応が求められていますが、今後も時代のニーズに対応した支援を行い、「企業の皆様の研究室」として、県内企業の皆様のお役に立ち、県内産業の発展に貢献できるよう職員一同取り組んでまいりますので、引き続き、御指導、御支援を賜りますようお願い申し上げます。

鳥取県知事   平井 伸治

鳥取県知事 平井伸治
 地方独立行政法人鳥取県産業技術センターが、前身である鳥取県工業試験場設立から数えて100周年を迎えるに当たり、一世紀に及ぶ長きにわたり絶大なご協力をいただいた県民の皆様、関係者の皆様に厚く感謝申し上げますとともに、弛まぬ努力により本県の産業と技術開発の先端を開いてきた歴代の役職員に深甚なる敬意を表します。
 当センターは、本県産業の技術面における支援機関として県内学術機関などと連携を図り、県内企業の皆様の研究開発、技術相談、人材育成などに邁進し、平成19年に地方独立行政法人に改組し自律的かつ機動的に活動するプラットフォームを構築しました。今後とも、県内企業の技術力向上、高収益化に向け、県内企業の「ホームドクター」として産業雇用のソフトインフラを発展させ、培ってきた技術力、人材開発力を更に向上させることにより、これから10年で製造品出荷1兆円を目指してまいります。
 新型コロナウィルス感染症の影響や国際紛争、物価高などを乗り越え、県内産業を成長軌道へしっかりと乗せ、新たな産業、DX推進等など未来の礎づくりに励んで参りますので、県民・企業の皆様のご指導、御協力を賜りますようお願い申し上げます。

100年のあゆみ

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1923年(大正12年)工業試験場の設立

1923年設立当時本場(鳥取市西町)
第1次世界大戦終戦の1920年(大正9年)頃、戦後の恐慌や鳥取県の積極的な工業振興施策を背景に、工業試験場設立の要望を受け、1923年(大正12年)4月に農商務大臣から設立の認可を受けました。さらに酒造組合連合会、醤油同業組合、因幡紙同業組合からの多額の寄付により、醸造部門、製紙部門からなる試験研究及び技術指導機関として設立されました。1925年(大正14年)窯業部、続いて1928年(昭和3年)染織部、1930年(昭和5年)木工部を設置。当時盛んだった各業界の支援に取り組みました。その後、太平洋戦争に向かって時代は進み、県内でも戦争に伴い技術職員が召兵により減少。1945年(昭和20年)8月終戦。
 

<この頃...>
※1923年(大正12年)~1945年(昭和20年):開戦から終戦まで

  • 木綿、養蚕業の最盛期。県内産業の7割は、繊維・衣服業が占める
  • 県の醸造技術が急速に向上し、名声が全国に広まる
  • 県内の因州和紙工場は、1,300を数えた。昭和に入り、洋紙の流入が始まる
  • 昭和16年~20年まで、太平洋戦争
  • 昭和18年、鳥取大震災
  • 県内でも戦争に伴い、金属・機械機器など軍需産業の割合が増える

1948年(昭和23年)農産加工所設立(食品開発研究所の前身)

農産加工所(米子市旗ヶ崎)
1948年(昭和23年)戦後の食糧不足を背景に、農産物の加工研究と技術指導を行うため、米子市旗ヶ崎の農業試験場西伯分場の敷地内に、鳥取県立農産加工所を設立しました。農産加工所では食糧難を乗り切るため食糧増産や加工に関する研究が盛んに行われました。

1952年(昭和27年)鳥取大火により工業試験場が焼失

一方で、戦後復興の最中の1952年(昭和27年)に鳥取大火のため工業試験場本庁舎が焼失。不況下における業界への影響が甚大であったため、影響を早急に抑えるべく、翌年には鳥取市西品治(現、鳥取市行徳)に本庁舎を復旧しました。
 

<この頃...>
※1946年(昭和41年)~1965年(昭和40年):戦後の復興から高度経済成長へ

  • 昭和21年、伯耆酪農組合(現:大山乳業が発足)
  • 昭和27年、日本パルプ工業米子工場(現:王子製紙米子工場)が稼働
  • 昭和28年、境港が第3種漁港に指定され、整備が始まる
  • 昭和39年、米子工業高等専門学校開学
  • 昭和40年、鳥取大学工学部開設
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1966年(昭和41年)農産加工所が食品加工研究所へ改称

1966年(昭和41年)農産加工所が食品加工研究所と改称し、水産食品部門を新設。境港のイワシ、アジの水揚量が激的に増え、醤油やトマトペーストで味付けをする魚類缶詰の製造が始まったことを受けて業務を開始しました。
 

1970年(昭和45年)工業試験場米子分場(機械金属科)開設

機械金属科本館(米子市夜見町)
1970年(昭和45年)には、米子市が新産業都市に指定されたのを受け、機械・金属工業の育成発展を図るため、工業試験場に米子分場(機械金属科)を開設しました。翌年、米子市夜見町に新庁舎が建設されました。
 

1978年(昭和53年)工業試験場本場、食品加工研究所の新築移転

工業試験場本場(鳥取市秋里)工業試験場本場(鳥取市秋里)
食品加工研究所本館(境港市中野町)食品加工研究所本館(境港市中野町)
工業試験場本場が鳥取市秋里へ新築移転。当時、鳥取市富安にあった木材工業科も本場へ。同時期、食品加工研究所の研究業務拡大により、現在地(境港市中野町)へ新築移転。味噌、醤油、食酢分野が、工業試験場から移管され、発酵食品部門として業務開始しました。
 

1987年(昭和62年)工業試験場に応用電子科を設置

1987年(昭和62年)、円高不況の中、県内主要産業となった電気・電子業界からの要望により、工業試験場に応用電子科を設置。電気・電子関係の各種機器・装置が整備されていきました。応用電子科では、マイコン技術の普及と製品化支援、人材育成に努めました。県内企業の製造装置や検査装置の自動化が飛躍的に進みました。また、世界初のマイコン制御機能を備えたオーブントースターの製品化につながりました。
 

<この頃...>
※1966年(昭和41年)~1989年(昭和64年):高度経済成長期(1955年(昭和30年)~1973年(昭和48年))を経て、安定成長期(1974年(昭和49年)~1989年(平成元年))へ

  • 昭和30年代から40年代にかけ、電気・機械・繊維・食品などの県内の工場設立が続く
  • 昭和41年、鳥取三洋電機が鳥取市に進出。その後、協力工場の進出続く
  • 昭和41年、米子市が新産業都市に指定
  • 昭和41年、米子鉄工団地竣工
  • 昭和48年、境港が特定第3種漁港に指定
  • 昭和49年、第1次オイルショック
  • 昭和56年、鳥取鉄工団地竣工
  • 昭和50年代中頃からマイコン技術が急速に進み普及が始まる
  • 昭和61年終わり頃からバブル景気
  • 昭和61年、境港竹内工場団地竣工

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1998年(平成10年)工業試験場と食品加工研究所が統合、鳥取県産業技術センターへ改称

1998年(平成10年)工業試験場と食品加工研究所を統合し鳥取県産業技術センターに改組。「産業技術センター」の名称は全国初。地域の技術開発拠点、開かれた研究機関として新しくスタートしました。
 

2000年(平成12年)本庁舎を新築移転、機械素材研究所(米子施設)の移転、食品開発研究所(境港施設)の整備

鳥取県産業技術センターへ改組
2000年(平成12年)に産業技術センター本庁舎が現在の場所(鳥取市若葉台)へ移転。2003年(平成15年)には、応用技術部が2研究所体制となり、「機械素材研究所」と「食品開発研究所」に改組しました。最新鋭の機器、実験室を導入し、施設の充実を図りました。2004年(平成16年)には老朽化した機械素材研究所も現在地(米子市日下)に移転。機械・金属分野を対象とした高精度加工、自動化・省力化、材料評価などの機器整備を行い、技術開発・支援の強化を行いました。2007年(平成19年)には、食品開発研究所に高機能開発支援棟を新設。高品質加工食品の試作・試験、食品の健康機能評価を可能とし、新商品、新技術開発、起業化支援の充実・強化を図りました。
米子市にある機械素材研究所機械素材研究所(米子市)
境港市にある食品開発研究所の高機能開発支援棟食品開発研究所(境港市)高機能開発支援棟

<この頃...>
※1989年(平成元年)~2007年(平成19年):続く、平成不況

  • バブル崩壊後の国内経済の低迷、社会経済の成熟化
  • 平成に入り、インターネットの商用サービスが始まり急速に拡大
  • 失われた10年、第1次~3次平成不況、失業率も増加
  • 平成に入り、生産工場拠点の海外シフト化が進み、国内では高付加価値品の生産や研究開発が求められる
  • 平成9年の京都議定書を受け、環境意識が高まる
  • IT景気、IT不況による景気の波が続く
  • 平成12年、IT基本法成立
  • 平成13年頃、デフレスパイラルの懸念始まる

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2007年(平成19年)地方独立行政法人鳥取県産業技術センターへ

日本経済が低迷する中、産業界からは高度で迅速な技術支援が求められるようになり、県内企業への技術支援の一層の強化を目的に、2007年(平成19年)、公設試験研究組織として東京都、岩手県に続いて全国3番目の地方独立行政法人へと移行しました。
 

2007年(平成19年)~2019(令和元年) 法人化後の様々な取り組み

地方独立行政法人化後、県内企業では事業再編の必要性が求められており、そのころ注目されていたLEDや液晶分野の関連設備をセンターで整備し、企業の参入を支援しました。また、食品分野でも6次産業などの取り組みが活発となり、2015年(平成27年)、食品開発研究所に「商品開発支援棟」を増設し、地元産品を用いた特徴的な食品の開発へとつながりました。また、機能性食品の開発、バイオ産業の活性化についても取り組みました。令和に入り、AI・IoT・ロボット技術を活用して企業現場の生産性向上を支援する「とっとりロボットハブ」を機械素材研究所に整備。企業単独では困難な、スマート工場化の事前検証が可能となりました。
 
食品開発研究所 商品開発支援棟食品開発研究所 商品開発支援棟
とっとりロボットハブ全景.jpgとっとりロボットハブ(機械素材研究所)

<この頃...>
※2007年(平成19年)~2023年(令和5年):リーマンショック後の低迷からの復活、成長産業の創造へ

  • 平成20年、リーマンショック
  • 平成22年、鳥取県経済成長戦略策定
  • 平成22年、JT米子工場閉鎖
  • 平成23年、三洋電機、パナソニックの完全子会社化、その後鳥取から撤退
  • 企業の全国再編相次ぐ
  • 平成27年頃、自動車、航空機、医療、情報、食品等の企業誘致相次ぐ
  • 平成27年、国連サミットでSDGs採択
  • 鳥取県内の有効求人倍率は平成21年度0.45から、26年度1.01、29年度1.63と回復したが、人手不足が深刻に
  • 令和2年、新型コロナウイルス感染症の拡大
  • 令和2年、5G通信サービスの開始
  • 令和2年、政府は30年後に温室効果ガスの排出ゼロを目指すことを宣言
  • 令和3年、鳥取県産業振興未来ビジョン策定

2023年(令和5年)設立100周年を迎えました。

おかげさまで100周年を迎えました
SDGs・カーボンニュートラルに向けた取組をセンター活動の大方針とし、「デジタルトランスフォーメーション(DX)推進による生産向上」、「フードテックを活用したフードロス削減の食品の高付加価値化」を重点プロジェクトとして取り組みます。
これまでも、これからも、企業の皆さまと共に歩んでいきます。
​ 100周年記念誌『鳥取県産業技術センター 100年のあゆみ』

鳥取県産業技術センターの100年の歩み、詳細につきましてはこちらのPDFファイルからご覧いただけます。

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企業様からのメッセージ

気高電機株式会社 代表取締役社長 羽馬 好幸氏

気高電気 羽馬社長
今から35年前、弊社は東京の大手企業からマイコン制御のオーブントースターの設計を依頼されました。
当時はマイコンが世に出始めた頃で弊社には全く知見がなく、切羽詰まる状況で頼ったのが工業試験場でした。そして、半年という短期間のご指導の下、日本初、世界初の製品を世に送り出すことができました。この技術が今でも弊社の設計開発の基礎となっております。今後とも県内企業の技術の中核として、そして、先端技術の牽引役としての役割を果たされることを期待しています。これからもよろしくお願いいたします。

株式会社菊水フォージング 代表取締役社長 森脇 孝氏

菊水フォージング 森脇社長
1963年、米子市夜見町に米子鉄工センターが設立され市内鉄工各社が集積しました。これを受け71年に同町内に鳥取県工業試験場米子分場新庁舎、79年には熱処理研究棟も完成。これらにより県内初の熱処理拠点として鳥取県金属熱処理協業組合が発足するなど鉄鋼品製造プロセスが確立しました。中小企業には導入困難な高度な検査機器の使用や技術指導、学術的視点からの助言など、ものづくりのさまざまな場面でサポトしていただいています。今後、よりセンターを身近に感じられる環境づくりに期待しつつ、一層のご発展をお祈りします。

協同組合米子鉄工センター 理事長
鳥取県金属熱処理協業組合 理事長


株式会社日本マイクロシステム 代表取締役 髙島 主男氏

日本マイクロシステム 高島会長
1982年の創業以来、企業から依頼を受けた製品開発の技術相談や設備利用、共同研究などにご協力いただきました。週に何度も足を運んだこともあり、そのたびに遅くまで熱心に研究に付き合っていただきました。デザイン的な支援を受け開発した基板検査機は2015年、デザイン性に優れた物事に送られるグッドデザイン賞を受賞。また共同開発したマイクロ水力発電システムは県内外での販売実績があります。今後も深く関わりながらやっていければと思っています。

一般社団法人鳥取県発明協会 会長


ブリリアントアソシエイツ株式会社 代表取締役  福嶋 登美子氏

ブリリアントアソシエイツ 福嶋社長
新商品の開発段階で技術的な壁に直面したとき、企業・団体の実情に則したオーダーメイド型の支援を提供できるのが、この組織の強み。さしずめ「産業技術のドクター」「中小企業の研究室」といったところでしょうか。ピンク色の食品を製造販売するわが社は赤ビースのペースト化、パウダー化加工技術の指導を受け、自社の顔となるインパクトある商品を世に出すことができました。また、海外輸出に関しても指南いただきました。1世紀にわたり蓄積してきた知見を大いに発揮され、さらに県内企業の利用が広がることを願っています。

中国地域ニュービジネス協議会副会長


株式会社氷温研究所 代表取締役 山根 昭彦氏

氷温研究所 山根会長
農産物などが本来持っている力によって、旨みが増し長期保存もできる夢の技術「氷温技術」は、鳥取県食品加 工研究所で行われていた二十世紀梨の貯蔵の研究から生まれました。所長として研究に携わっていた父・昭美は、氷温に鳥取県の発展の願いを込めていました。鳥取県食品産業協議会も同様に、父や河越庄市さんといった 諸先輩方が、他に誇れる鳥取県の技術によって県や食品業界が発展することを願って立ち上げた組織です。これからもセンターからのご指導をいただきながら、両方の立場で地域の未来のために貢献したいと思っています。

鳥取県食品産業協議会 会長


甲陽ケミカル株式会社 代表取締役会長  赫 太郎氏

甲陽ケミカル 赫社長
境港で水揚げされるカニの殻などから抽出でき、鳥取大学の平野茂博先生によって機能性が注目されたキトサンの食品への用途拡大に挑戦し始めたのが20年以上前。私自身も分析を中心とした研修を受けさせていただくな ど、県工業試験場の頃からさまざまなサポートをいただいてきました。現在でも分析のために弊社にない機器の使用や指導をしていただき、とても感謝しています。われわれのような製造業を、研究・分析や市場開拓など幅広い面で支援していただけるのは大変心強く、これからも二人三脚で事業の発展に邁進していきたいと思います。
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